マスクを外して外へ出よう(ほんのひとこと)

 ストレスの多い夏が続いている。


 猛暑にマスクは息苦しい。


 僕たちは、なんて自主規制が好きなんだ。この暑さの中、歩道を行く通勤の人々のマスク率は、依然100%に近い。通勤の交通機関やコンビニ等の店舗ではマスク着用は依然必要だが、屋外で、単独歩行中のマスクって、どう考えたって不必要。テレビの政府広報でさえ「屋外で会話のない場合は不要」としているのに、でも外さない。理由は「みなさん、そうしてらっしゃるから」。自分だけ外すのは具合が悪いと、我慢我慢。息苦しい。我慢しているから、他人が我慢しないのは気になる。「あいつ、マスクしてないじゃん。目立ってやんの」。というわけで、自分を多数派につかせたい気分が横行する中で、現状維持がだらだらと続く。じつに日本的。息苦しい。


 「自粛警察」の感覚。「非国民」の感覚。お上の意図を読み取って、明示された以上の規範を自他に課す。逸脱する者は告発し、お上に代わって正義の行使も辞さない、と。お上を多数派と置き換えれば「いじめ」の感覚。自分は無縁と言い切れるか。


 ……暑い。もう、屋外ではマスクはやめよう。決めた。



 二月に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻。未だ和平への兆しが見えない。


 第二次大戦のナチス・ドイツを思い起こさせる軍事侵攻。時計の針が逆回転したような感覚。破壊される市街地、避難する市民・子どもたち。頭の中で、これまでに見た第二次大戦の空襲や地上戦、学童疎開の映像がだぶる。


 そして、ロシア国内の世論。国際的にロシアの侵攻に批判が高まる中、ロシア国内では多くの人がウクライナをナチに重ね、それを撃ち市民を救うというプーチンの特別作戦への支持は圧倒的に高いという。言論統制の下、ロシア国内からの批判は封じ込められている。


 インターネットの時代になって、戦前戦中の日本のような情報・言論統制はできにくくなっているように思ってもいたが、やはりそんなことはない。戦争と情報言論統制は不可分だ。戦争と表現・言論・出版の自由は相容れないということだ。表現・言論・出版の自由を冒すものには敏感に対抗していかなくては、と改めて思う。……ああ、やっぱり、屋外ではマスクを外そう。



 岸田内閣は安倍元首相の国葬を閣議決定した。


 国葬と聞いて、まず思い浮かべたのは、山本五十六。戦時中の白黒の記録画像で葬列を見た記憶があって、僕の中では国葬というのは軍国イメージと直結していた。戦前には「国葬令」という勅令があった。しかし戦後、政教分離を明記した日本国憲法と相容れないものとして失効した。だが1967年、吉田茂の国葬が行なわれている。この時も佐藤栄作内閣での閣議決定で行なわれたというが、法的根拠はなしで閣議決定だけで、国費で運営する国葬を強行することは法治主義に反する。


 弔意の強要は思想、良心の自由を侵害する。すでに安倍氏の葬儀に際しては、東京都はじめ8教育委員会が、各学校に「半旗掲揚」を文書で要請している。国葬が強行されれば、こうした事実上の弔意の強制がさらに増えることは想像に難くなく、問題は大きい。


 戦後歴代首相では行なわれなかった国葬を行なうということは、安倍氏を賛美することにつながる。何しろ、戦後二人目なのだから。批判的な評価が封じられることも予想され、言論・表現の自由が脅かされる懸念がある。安倍元首相の国葬には反対だ。


 ……さあ、マスクを外して外へ出よう。



出版協会長 水野 久(晩成書房


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