先日台湾に行ってきた。仕事とは関係なく、2年に一度古くからの友人たちと一緒に旅行をしている、今回それがたまたま台湾だったということ。なんとか仕事の都合がついたので、無理を言って早めの夏休みにさせてもらった。台湾にはこれまで数回行ってはいるが、前回行ったのはもう15年も近く前。前々回はさらにその10年以上前のこと。表面的な印象でしかないけれど、街の様子も、行き交う人たちの様子もずいぶん変わったように思えて当然だろう。 前回同様、台北の書店を半日かけて回ってみた。限られた時間なので、ほんとうにたった数軒見ることができただけ。 台湾の書店といえば、いまは東京日本橋にも出店するという誠品書店(誠品生活)だろう。前回行った時にも誠品書店はあったけれど、今のように大規模展開はまだしていなかったはず。「アート系の本屋さん」というイメージで、前回は当時の本店にも行かず、どこかの駅ナカ(?)の小さな誠品書店にだけ寄った。 しかし今回は見ておかなければと思って、本店である「信義旗艦店」に行ってみた。敷地3000坪、100万冊の蔵書量だという。休みの日だったせいもあるのか、たくさんの人で賑わっている。台湾では「座り読み」が普通のようで、何か所かに置いてある大きなソファに腰掛けて本に読みふける人たちでいっぱい。それどころか、ソファに座りきれない客が、直接床に座り込んで、あちこちで本を開いている。台湾関係の歴史書や文学書も専門の棚にずらりと並んでおり、日本で言えば嫌中本に属するような本も平積みになっている。台湾から見える中国の存在を考えれば、切実なのかもしれない。
前回主に歩いたのは、台北駅にほど近い、重慶南路という場所にある書店街だった。最盛期には200もの書店が軒を連ねていた場所で、2005年当時はそれほどではなかったが、やはり大きな書店が何軒も並んでいた。しかし、今回、旅行前にいろいろインターネットで検索をしていて、この地域はすっかり様変わりしてしまって、大きなホテルや飲食店が並ぶ街となり、いまや書店の数は10に満たないと知った。ランドマーク的存在だった臺灣商務印書館はとうに移転し、日本統治時代の建物に入居していた金石堂城中店も、昨年6月で閉店してしまったという。書店街の衰退は、ネット書店の拡大と読書人口の減少という、いずこも同じ事情が背景としてあるようだ。 一方で、台湾大学周辺の温州街、公館一帯が、いま新たな書店街として発展しつつある、という別の記事を見つけた。「唐山書店の創業者陳隆昊は、『ネット書店の興隆に直面して、専門的で特色のある書店だけが生きのびられる』と指摘する。重慶南路の書店の多くは総合型書店で競争力に欠けるので、金石堂の閉店は意外ではない。重慶南路の書店街は消滅しても、『台湾大学附近の温羅汀〔温州街、羅斯福(ルーズベルト)路、汀州路が交わる地域〕書店街は依然活力に満ち、ここ二年間に新しく多くの二手(セカンドハンズ)書店も開店した……。主として専門的あるいは特色ある書店で、選書に特徴があり、ネット書店に対してなお優位だ』」(「自由時報」電子版)。 さらに検索していると、この地域の書店を紹介している記事がいくつか出てきた。実は、唐山書店など台湾の独立書店は、近年日本でも注目されているらしいことを、今回初めて知った次第だ。それらを頼りに、今回はこの地域をちょっと歩いてみることにした。 商店街と言うより、緑の多い住宅街のなかに、こぎれいな新刊書店や、雰囲気のよい二手書店がぽつぽつとある。ブックカフェらしき店も点在。日曜日だったせいか、残念ながら閉まっている店が多かったが、「唐山書店」は開いていた。地下を降りていく階段には、両側の壁や天井にまで、いろいろな文化イベントや雑誌などの案内、政治的なポスターが貼られている。書店そのものはまるで飾り気のない倉庫のような空間だが、なかなかハードな人文・社会系の本で全体が埋め尽くされていた。ため息が出た。こんなに広くはなかったけれど、いまはなき吉祥寺東急裏のウニタ書店が、ロケーション的にもこんな感じだったかな。「唐山書店」の近くにはフェミニズム専門の、その名も「女書店」。書店の片隅では、数人で読書会らしきものをやっていた。 これら独立書店の動きには、言うまでもなく台湾の社会・文化運動の蓄積がある。唐山書店で買ったアート+ポリティクス系の雑誌の特集は「歴史就是未来」(歴史こそ未来)。若い世代の表現者や研究者、アクティヴィストによる戒厳令時代の「白色テロ」などの歴史記憶再構成の試みが紹介されていた。思わず、過去と現在が切断され、いまだに「台湾は親日国」などという言説が幅をきかせているこの日本の状況と引き比べてみる。 帰ってきてから知ったことだが、この一帯こそ、台北帝国大学の創設にともなって開発された旧「昭和町」であった。緑の多い落ち着いた街の風情も、植民者たちの好みが作りだしたものであったという側面もあるならば、ただたんに、そこに身をゆだねていればいいだけではないはずなのだが。
出版協理事 新 孝一(社会評論社)
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