「シュルレアリスム」雑感、あるいは「編集者」の死(ほんのひとこと)

 毎週拝読している「図書新聞」(2020年2月15日号)の最終面の記事「ジャック・ヴァシェ著『戦時の手紙』は〈創作〉翻訳で済まされるのか?」を読んで驚いた。もちろん「書評」ではあるのだが、翻訳書の出版に対する猛烈なる「抗議」文であったからだ。そしてまた、この記事の執筆者が、かつて愚生が編集担当した翻訳書(ボリス・シリュルニク『妖精のささやき』)の訳者のひとりの後藤美和子氏であり、その穏やかな人柄からは想像もつかないほどの熱の入った糾弾的な記事であったということも要因であった。


 記事は2019年8月に河出書房新社から刊行されたジャック・ヴァシェの『戦時の手紙』(原智広訳)をめぐるものであり、「『訳書』を読んでみると、実に全ての頁が『訳者』による『創作』と原文の改竄によって埋めつくされていることに驚かざるを得ない」と後藤氏は記す。そして、五つの具体的事例を挙げ、仏語原文、原氏の訳文、後藤氏の訳文を紹介する。これらの比較対照例を見れば明らかなように、原氏の「訳文」は後藤氏が指摘するように「創作」というほかはない。


 《自由というただひとつの言葉だけが、いまも私をふるいたたせるすべてである。思うにこの言葉こそ、古くからの人間の熱狂をいつまでも持続させるにふさわしいものなのだ。それはおそらく私のただひとつの正当な渇望にこたえてくれる。私たちのうけついでいる多くの災厄にまじって、精神の最大の自由がいまなおのこされているということを、しかと再認識しなければならない。それをむやみに悪用しないことが、私たちの役目である。想像力を隷従に追いこむことは、たとえ大まかに幸福などとよばれているものがかかわっているばあいでも、自分の奥底に見いだされる至高の正義のすべてから目をそらすことに等しい》(ブルトン『シュルレアリスム宣言』巖谷國士訳、岩波文庫)


 なぜこのような「事態」に至ったのだろうか。担当編集者は本書の刊行にあたっていかなる「役割」をはたし、また版元はいかなる「決断」のもとに本書を出版したのだろうか。


 これまでの微々たる愚生の「経験」のうえで記せば、編集者が翻訳書を編集担当するに際して、原文と訳文を一言一句照らし合わせて編集作業し、そののちに出版にまで漕ぎ着けるということはそうそうあることではないと思う(もちろん何事にも「例外」はある)。せいぜいが訳文を校正紙で読んで、「日本語」として読みにくいと思われる箇所を訳者に伝えるぐらいではなかろうか。


 その意味では、訳者(著者ともだが)と編集者の「共同作業」は、ことの善悪を問わず「共同正犯」といえよう。ということは、互いに対する「信頼」「信用」が根源になければ、編集・製作の作業はまっとうに進行しないと思う。


 「本書(ヴァシェの訳書)における『創作』と原文内容の改竄は『軽い驚き』で済まされる程度のものではない。『創作』翻訳などと片づけて見逃される次元ではなく、筆者も交流のあるヴァシェのご遺族に対する責任問題になりかねないのである。翻訳書出版で伝統のある河出書房新社はこの事態をどうとらえ、どう対処するつもりなのだろうか。早急な対応を待ちたい」と、後藤氏は記事を結んでいるのだった。


 ともあれ、「シュルレアリスム」との繋がりでは、この人を想起せざるをえない。先般早世した畏敬する編集者・松井純氏だ。松井氏と共通の友人である編集者から彼の訃報を聞いた。「ウソでしょ!」というのが正直な反応だった。それにしてもあまりに早い死であり衝撃であった(享年52)。


 《生きること、生きるのをやめることは、想像のなかの解決だ。生は別のところにある》(ブルトン、同上)


 愚生が駆け出しの素人同然の編集者のころ、彼は颯爽と「人文書院の松井です」と姿を現わした。松井氏は京都にある版元の編集者で、歳はひとつしか違わないがすでに風格ある編集者であった。そのときの主たる用件は、当時、愚生が属していた版元への企画の売り込みで、それが「シュルレアリスト」の叢書で、たしか8巻ぐらいのものであったと記憶している。


 そして松井氏は、この「企画」が日本のシュルレアリスム受容にとっていかに重要であり、のちには「地殻変動」をもたらすであろうということを熱く語った。しかしながら愚生は、提示された企画に関する記憶はほとんどなく、彼が奢霸都館の生田耕作の熱烈な愛読者で、いずれは研究者になりたいのだな、という印象を強く感じたのであった。


 周知のように、しばらくして松井氏は人文書院から平凡社へと移籍し、多くの書籍を企画・製作していった。


 旧知の「編集者」の死からいろいろ考えた。われわれ編集者の「使命」とはいったい何なのだろうか。ハイデガーは「言葉が語る」といったが、ベンヤミンの「翻訳者の使命」を傍らにおき、「編集者の使命」を徹底的に深く考えること。つねに問い続けるしかない。


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