オリンピック開催前に連続した辞任、解任について思うこと(ほんのひとこと)

 始まりは今年の2月の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗元総理の会長辞任であった。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。女性は競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言うと、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」と発言をして批判をあびた。オリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切な表現だったと謝罪をし、会長の辞任は否定するも、一度は静観したIОCの「不適切で(男女平等を目指す)IОCの公約にも反している」との声明を受け辞任をした。


 翌月には開閉会式の演出総合統括がタレントの容姿を侮辱するようなプランを提案していたことが発覚してこちらも辞任をした。


 開会が迫る7月になって音楽担当のミュージシャンが過去に障害がある同級生へのいじめ・虐待を反省することなく雑誌でかたっていることへの批判がインターネット上で拡散、組織委員会の続投方針もあったが辞任を受理のカタチとなる。


 極めつけは、開会式まで二日とない時に演出担当者のユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を容認するようなスタンスでコントの題材にしていたことがインターネットで拡散して米国のユダヤ系人権団体からも非難の声明が出され、辞任の受理ではなく解任をされた。7月の二つの件は当月の14日に開会式の担当メンバーが公表されてその後、SNSで問題が指摘をされて瞬く間に辞任、解任となったようである。


 これだけよくも人権、差別にかんして問題を指摘されるメンバーが揃うものだと、なぜなのかと考えてしまう。開催が延期になって昨年の12月に開閉会式の担当者が総入れ替えになったようである。今回のメンバーは3月に辞任をした演出総合統括に人選を一任したとのことのようだ。どう考えてもオリンピック・パラリンピックが唄う理念に基づいた一任や人選がおこなわれたとは思えない。「うけ」や「めだち」のできる人たち、「おともだち」たちなのであろうか。


 SNSなどを通して差別を許さないと、人権は擁護をすると声をあげたから、上記の人たちは檜舞台から退場をせざるを得ない結果となった。ただ、退場をしたこととその理由を理解したうえなのかそうではないのかは別問題である。


 今回、SNSの拡散の規模や速さ、力の大きさを再認識させられた。ただ、組織委員会や関係者にとっては好ましくはない、マイナスの措置をとらざるを得なかった要因に、大会スポンサーの意向が働いていると考えるのが普通であろう。森前会長の辞任にあたっても、最初の謝罪は真の反省ではなく「あやまればいいだろう」というような態度(最後まで一貫している)、沈黙のIОCから「不適切」の事務局声明でようやくの辞任は最大スポンサーの米放送大手の意向があったからと推測をする。同じように、演出総合統括や音楽担当の対処についても、最初は擁護的態度や続投の意向をだしてSNSをはじめとする世論の動きをみることもあろうが、決め手は国内のスポンサーの意向が大きく反映をしているとやはり推測をしている。


 森前会長や開閉会式の担当者たちにとっては一つのけじめかもしれないが、その他にいろいろな問題を提起している。


 女性蔑視の発言は、男女平等や性的少数者への人権侵害・差別に対して大きなマイナス要因である。


 いじめについて加害者は「軽い気持ち」での行為かもしれないが、受ける側は生涯それがつきまとうこともある。被害者は立場的によわく声をあげにくい。今回、SNSは人権侵害や差別に対し「ダメ」との力を発揮したが、時と場合により声をあげた者に対してバッシングの側に立つことも現実である。


 ホロコーストは、第二次世界大戦のナチスのおこなった過去のことではなく、現在でもおこりうる現実的問題でもある。いろいろな被害者の救済、ヘイトスピーチなどに対して差別を許さない体制や制度について考える出版の役割を再確認することとなった。



出版協理事 髙野政司(解放出版社

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