近世部落史研究の進展により、近世の身分制についても従来の考え方を修正する成果が出てきている。しかしながら、最近でも新聞の有名コラムで近世身分制度を「士農工商」と呼び、被差別身分について述べなかったり、大河ドラマで近世の身分制を「士農工商」と説明しただけで、被差別身分については説明をされなかったりと、新聞やテレビで近世の身分制を「士農工商」という認識でとらえたり、「穢多(えた)・非人(ひにん)」など被差別身分の存在に言及しなかったりと、歴史認識の誤りや差別問題に対する認識不足や忌避的態度と考えられることがある。
少し前になるが、前回(2019年)の参議院議員選挙で候補者に決まっていた元アナウンサーが講演で「日本には江戸時代にあまりよくない歴史がありました。士農工商の下に穢多・非人、人間以下の存在がいる」と悪質な差別発言をしていたことが発覚し、マスコミでも取り上げられた。ご記憶のかたがいるかもしれない。また、「士農工商穢多・非人」を序列順にピラミッド型に(最上位に士、最下位に穢多・非人)ととらえる認識をもとに「士農工商〇〇〇〇」と比ゆ的に表現する、現代の部落問題・部落差別を助長し合理化する案件も同様の枠組みでのものである。このピラミッド型でとらえる身分制もまちがいである。今でもこのとらえかたでの発信がみとめられるのは残念である。
「士農工商」という言葉は存在したが、身分を意味するものではないということである。もともとは、中国の古典『漢書』などに記されていた国を支える人民を四種に区分したもので、四民ともいったということである。この「士農工商穢多・非人」という表現は、明治になってから使われるようになったとのことである。
1990年代以降の教科書では、このような身分制の表記ではなく武士身分、百姓身分、町人身分、被差別身分(または、その他の身分)などの身分呼称が使用されるようになってきている。そのため、若い人たちのなかには「士農工商」についての問題提起自体がピンとこない方がいるだろうと思われる。古い教科書で学習したひとたちへの提起がメインといくことでお許しをいただきたいと思います。
徳川幕藩体制の身分制をもう少し詳しくみてみる。武士身分は税の徴収や裁判権など、統治・行政権をもつ支配層である。(また、身分制にはさらに細かく規定された「身分内身分」があった。武士身分では徳川家を頂点に大名、旗本、御家人、藩士があり大名にも三家、家門、譜代、外様というようにある。)百姓身分は農民が多いが、漁師や林業従事者などもおり支配をされる側である。町人身分は手工業者、商人で支配をされる側であった。百姓身分と町人身分は共に支配をされる側ではあるが、この両者には上下関係はなく並列的である。被差別身分は「穢多」や「非人」などである。差別をされ支配をされた。
「穢多」という呼称についてであるが、これは穢れが多いという意味で、支配層がおしつけた差別的呼称であった。これを嫌い西日本では自らを「皮多(かわた)」と、東日本では「長吏(ちょうり)」と名のった。また、幕末には差別的対応・施策に対してたちあがった事件として、東日本では下駄の鼻緒の売買をめぐり町人・百姓と長吏が対立し大騒動に発展した「武州鼻緒騒動」が、西日本では身分差別強化に反対し団結をして闘った「渋染め一揆」が知られている。
2016年に成立・施行された「部落差別解消推進法」では教育・啓発の重要性が謳われているが、いわゆる「特別措置法」が終了した2002年からこの間、部落問題学習の機会が減少してきた。
微力ながら歴史認識の一助になればとこの場をお借りしました。
出版協理事 髙野政司(解放出版社)
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