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朝起きたら戦争が始まっていた!(ほんのひとこと)

 2022年12月16日/後世では「戦争開始記念日」、岸田文雄という政治家を「日本を戦争する国にステップアップした元凶」と呼び習わすことになり、政治家の愚かな選択によって、不可逆な歴史的転換が起こった日として記録されるのかもしれない。


 今のところ、国民の政治センサーはまだ敏感なので、翌17、18日の毎日新聞の全国世論調査では、内閣の支持率は25%、不支持率は昨年10月の政権発足以来最低の69%だった。これがわずかな救いだった。



●攻撃と反撃は同義語か?

 周知のように12月16日政府は、安保関連3文書の改定を閣議決定した。これで敵基地を攻撃することができるようになったとした。そもそも敵の基地しか攻撃しないということに制限していることが疑問だが。


 自衛隊は、事前に攻撃されることを察知したら、相手の国土に向けてミサイルを打ち込む、と国際社会に宣告したわけである。専守防衛戦略から「敵基地先制攻撃」に軍事戦略を変えたわけだ。ただし、官僚は「反撃能力を持つが、使う積りがないので、専守防衛の範囲を出ない。これまでとまったく変わらない」と、訳のわからないことを言い出す。どうしても辻褄が合わなくなったときは「時局が変わった」というどんでん返しのフレーズを使うのだろう。


 「相手から攻撃されていなくても……」ここがミソだ。米国が攻撃されているか、交戦状態で自衛隊が参戦し、米軍との共同戦略を実現するためには、この定義が不可欠なのだ。


 この戦術を支持するという国民が56%もいるというのも驚異だ。こうした軍事方針を支持するという投書を見ると、あたかも一発のミサイルで、敵基地が壊滅し、敵の攻撃意欲が消滅すると信じているようだ。想像力を欠く〈善意の解釈〉か〈底意のある解釈〉のいずれかだろう。


 「相手に反撃する力を持っていると安心だね。殴ってきたら、殴り返さないとね」。想像力の欠如は地獄への道案内だろう。一発のミサイルが着弾した先にあるドラマは、直接相手を殺すか、殺される地上戦だ。相手国を占領するまで戦争を終わらせないとすれば、生物兵器か核兵器の使用なのか。



●時の政権に提灯を持つ政治部長

 「時局」が荒れてくると、マスコミの一部に、政府の提灯持ちが現れる。12月17日付けの読売新聞政治部長の「国防の本義」という社説には驚いた。


 「国防の本義」と名の付いた著名な文書は2つあるとされる。1921年の加藤友三郎海軍大将の「国防は軍人の専有物にあらず。……国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず」というものが一つ。実際、ワシントン軍縮会議で主力艦制限を受け入れた際の信念だったと評価されている。


 もう一つ、1934年に陸軍省が出版した『國防の本義と其強化の提唱』だ。「たたかひは創造の父、文化の母である」とするこの主張は、日本と植民地のあらゆるものを総動員する日本軍の原理になった。


 読売新聞の政治部長は「相応の武力と外交の組み合わせで戦争を避けること」が、「国防の本義」だとして、自衛隊の増強に反対する「勢力」を揶揄している。しかし、「相応の武力と外交の組み合わせ」という主張自体が架空ではないか。そもそも、軍事力と外交というのは別々の原理で動くもので、組み合わせ補完し合ったりするものではないだろう。武力の行使と戦争開始は軍人の専権事項、外交と宣戦布告は政治家(外交官僚)がするもので、一体化した試しはない。意図して主張しているのなら論外だが、補完し合って「平和の力」は幻想によるミスリードにすぎない。


 「歴史に学べ」などと大上段に振りかぶらなくても、〈敵基地攻撃戦術〉は専守防衛から逸脱する。憲法条項に違反する悪手、官民と問わず外交関係の悪化をもたらす、無理筋だろう。



●まったくデタラメな金の使いかた

 「国民国家」では、〈国を守ることは国民を守ること〉だ。「子どもの貧困率」を引き下げること、生活保護家庭の子どもは大学に行けない、保育、介護、看護などがあまりの低賃金、荷重労働のため従事者が手当てできない状況を変えること、教育予算の世界115位、砂漠国家レベルの食料自給率、原発から自然エネルギーシフトすること。


 予算が捻出できないわけではない。国民のために税金を使いたくないのだろう。こんな政治には国民が愛想を尽かすしかない。


 「朝、目が覚めると戦争が始まっていた。」芥川賞作家の中村文則は「国の滅亡につながる閣議決定だ」と批判した。新しい年が来た。歴史が大きくうねっている。出版に携わる者として、どんな役割を果たすか、問われる状況だ。



出版協理事 上野良治(合同出版




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