『新潮45』問題から考える(ほんのひとこと)

●休刊が決まった『新潮45』  このかん、「言論の自由」と「出版社の責任」をめぐって話題となったのは、なんといっても自民党の杉田水脈議員の、「LGBTは子供を作らない、生産性がない」との論文を掲載した『新潮45』にたいする批判の高まりと、新潮社による謝罪と同誌の事実上の廃刊にいたる一連の動きだろう。  『新潮45』8月号に掲載された杉田論文については、ここで詳しく繰り返すまでもないだろう。これに対しては、出版協加盟社も多く呼びかけに名前を連ねた「杉田水脈衆議院議員の発言に抗議する」という声明が、最終的に82社の出版社代表が連名して、8月20日付けで発表された。杉田発言における「優生思想」を批判し、議員辞職を求めるものである。  やがて『新潮45』10月号が「そんなにおかしいか」と題する特集を組むと、これにたいしてLGBT当事者やその支援者のみならず、文芸関係者や書店などからも批判の声が上がった。そして、9月21日に同社社長によって「あまりに常軌を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」という見解が出て、休刊が決まった。

●売れるためには?  報道によれば、同誌の実売部数も、出版不況のなかで最盛期の5万7000部から約1万部にまで落ち込んでいたという。その過程で、ネット等での「過激な発言」で知られる書き手を登場させて、読者をつかもうとしたとも言われている。出版界に籍を置く人間として、これにはある種の切実さを感じないではいられない。『新潮45』に限らず、売れるためには、話題性やセンセーショナリズムに走りがちだ。匿名のネット空間では、「過激な発言」がうけて、「敵と味方」を線引きする単純化された議論がもてはやされる。その言論によって人を傷つけることにためらいもなく。この手の言説の氾濫が、伝統的な活字媒体にも浸透してきていることも、残念ながら事実なのだろう。だから、同誌の休刊という新潮社の判断は、そのことに関していったん立ちどまったという意味で、評価すべきだと思っている。もちろん、ある論者も指摘するように、何が問題であったかということを明確にしていく作業を、同誌でやれればもっとよかったとは思うけれども。  実際、この、本の売れない時代にあって、売れる出版内容へとシフトしていくことは、普通のことである。けれども、売れるためにヘイト本に手を出すというのは、やはり超えてはいけない一線だろう。たとえ「読者のニーズ」とうそぶいても、出版する側には、それ相応の「責任」が伴うという、単純な事実に無自覚であってはいけない。それから、これは自分自身にも自戒を込めて言うのだが、何か問題がおこったときに「書き手の問題」といって逃げるというのも許されないだろう。

●オリンピックと人権条例  ところで、「人権の尊重」を謳い、このLGBT差別やヘイトスピーチを規制する東京都の条例案が、10月5日の都議会で可決、成立した。これに対しては、「条例で差別がダメだということが明文化されたことに意義がある」とする人びとがある一方で、「表現の自由」とのかねあいで問題視する人びとがいる。また、差別規制には賛成だが、その濫用を懸念する人びとがいる。出版協加盟社のなかにもいろんな意見があるのではないだろうか(私自身は、朝鮮学校無償化排除や、関東大震災での朝鮮人虐殺を事実上否認して追悼式典への追悼文送付をとりやめたあの小池都知事が、この条例案を恣意的に運用することはないなどと、決して信じることはできないが)。  さらに問題にしたいのは、これが「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」となっていることである。「オリンピック憲章」はたしかに人権尊重の理念を謳っているが、このかんさまざまに報じられているように、オリンピックそれ自体がかなり問題含みのメガイベントである。膨張する一方の予算規模、環境破壊、ジェントリフィケーション、開発利権、「ブラック・ボランティア」、ドーピング問題……。私は、オリンピックがそんなにいいものとは思えないけれども、オリンピック憲章を持ち出さなければ人権は語れないのだろうか。こうなると、LGBTやヘイトスピーチを規制するためにオリンピックを利用しているのか、オリンピックで外国から批判を浴びないためにLGBTやヘイトスピーチ規制を利用しているのか、あるいは、そもそも規制のためにLGBTやヘイトスピーチ規制を利用しているのか、もうわけがわからなくなる。  杉田水脈的な言説はあまりに単純に優生思想をむき出しにしたので批判も浴びたが、その額面をとりたてて批判しづらいものの裏を読むのは難しい。小出版社こそ、大手に比べればそういう本も出しやすいのだろうけれど。

出版協理事 新 孝一(社会評論社)

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